味噌について

金山寺味噌

金山寺味噌とは

金山寺味噌とは

金山寺味噌は「なめ味噌」や「おかず味噌」と言われており、調味料としてではなく、そのまま生で食べられるのが特徴です。米、麦、大豆を丁寧に麹に仕立て、そこに刻んだ夏野菜を入れて3ヶ月ほど熟成してつくられています。

もろみ味噌にも似ていますが、野菜が入っているので、よりおかずとしての食べ応えがあり風味も変わります。和歌山の朝餉”茶粥(おかいさん)”やご飯に載せて、また酒の肴として親しまれています。

金山寺味噌の歴史

金山寺味噌の歴史

  • 起源

    金山寺味噌の起源は、約750年前の鎌倉時代に遡ります。
    宗に渡った禅僧の覚心が浙江省径山寺にてその製法を学び、日本に持ち帰り伝授したと言われています。覚心は後に法燈国師として和歌山県由良町の興国寺を建立し、そこで金山寺味噌は禅僧の貴重な保存食として用いられてきました。

  • 醤油の母

    金山寺味噌を熟成する過程では、深い色の上澄み液が生まれます。
    昔の人がこれを舐めたところ大変美味な味で、やがて調味料として使われるようになりました。これが醤油の起源とされ、湯浅町は醤油発祥の地としても知られています。

  • 和歌山 湯浅の恵み

    和歌山県、湯浅町。
    古くは熊野古道に通ずる宿場町として栄え、流通拠点として人の行き交う土地でした。
    温暖な気候が味噌や醤油を醸しやすく、上質な地下水が豊富に流れる湯浅に金山寺味噌が伝来します。
    少ない米を皆で分け、腹を満たすために生まれた茶粥文化との相性の良さもあり、金山寺味噌はこの地で長年愛されてきました。

原材料

  • 夏の滋養を閉じ込める

    白瓜、丸茄子、生姜、紫蘇。夏野菜をたんまりと入れています。金山寺味噌は、元々夏野菜を冬にも食べられるよう、保存食として食されていました。野菜を丁寧に刻み、麹と熟成させると仄かな甘みと確かな食べ応えを兼ね備えた金山寺味噌に仕上がります。

  • 米、大豆、麦。
    三つが溶け合い生まれる麹

    太田久助吟製の麹は代々伝わる独自の配合でつくられています。通常は同量の米、大豆、麦の配分ですが、米の量を多くすることで、甘みとなめらかさがより際立つ麹となります。一粒ずつ丁寧に状態を見ながら、人の手で丁寧につくることを大切にしています。